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2007年09月21日(金)

靴下いっぱいの夢(梅)

私は小学2年生の時にかんなみという町へ引っ越しました。

それまでは三島市の市営住宅に住んでいました。
市営住宅は当時としてはとても近代的な鉄筋コンクリートでできており3階建てでした。

家賃は月5000円。
低所得者向けだったので入っている人達はみんな子沢山で貧乏だったり片親で貧乏だったりと似たような人達が入っていました。

今思うと当時田舎では珍しかった片親や両親が朝早くから夜遅くまで帰ってこない(今はネグレクトっていわれてしまう)子供もたくさんいました。

電話がない人もたくさんいて我が家には電話があったのでよく隣の人宛の電話がかかってきました。

そこでは子供たちは小学校高学年から幼稚園児まで大体みんな一緒に遊んでいました。

缶蹴り、だるまさんがころんだ、泥棒と警察、かくれんぼ…。

宿題のない時代だったのでみんな学校から帰ってきては日が暮れるまで外で遊んでいました。
※当時の親は「外で遊びなさい」と子供を外へおんだしたので…。

私たち3姉妹は私の姉より1~2歳年上のあーちゃん、たーちゃん、まーちゃんたちにとてもよく面倒をみてもらいました。
あーちゃんには私と同い年の弟がいました。
弟君は日本人なのにうす~い茶色の毛と目をしていて女の子みたいにかわいい子でした。
後で聞いた話によると病気の影響で薄い茶色の髪や目の色をしていたそうです。

【More・・・】

私は小学一年生になりました。
小学校は幼稚園の隣にあって歩いて大体30分くらいの距離でした。

で、寄り道大好き道草くい道8段の私は毎日そこを1時間半かけて帰ってきました。

あっちへふらふらこっちへふらふら。

さて学校への通り道に梅林がありました。
とはいっても今でこそアレは梅林だったと思うのであって当時は
「木がいっぱい立ってる」
位にしか思っていなかったことは明白です。

さてこの梅林はもちろん格好の道草くいらーの私たちの寄り道場でした。

ある日の祝日(だったと思う)のこと。

あーちゃん、たーちゃん、まーちゃんと私たち3姉妹はその梅林へ行きました。
何を思ったのかたわわに実っている梅の実をもぎ取って靴下、ポケット、スカートへとパンパンになるまでつめ始めました。

日が暮れたころ靴下とポケットいっぱいに梅の実をつめた私たち3姉妹はお母さんの困った顔とオヤジの激怒に出くわしたのでした。

母と姉がその梅林の持ち主に謝りに行ったようです(いかんせん覚えていない!)。

そうしたらその持ち主の方は「子供のやったことだから」と許してくれたそうです。

今思うとですね、多分被害総額は10万円とか越えていると思います。
それを「子供がやったことだから」というなんて慈悲深いんだろう…と考えます。

そして私たちはその年が終わるとかんなみへ引っ越したのでした。

それまで努力して友達を作らなくて良かったという環境が災いして引越し先でちっとばかし苦労することになるとはまったくわかっていなかったあのころ。

今となってはすべて懐かしい思い出です。
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Comment

今日は、栗が安かったので、栗ご飯を作ろうと思って、栗むいてました。
梅って収穫用に栽培されていたの?ただ道端にあったのなら、いいんじゃないか、って思っちゃうけどな?駄目だったのかな?三島もかんなみもどこだかわからないや。
旦那に聞いてみる、静岡の人だから(笑)
mimi |  2007.09.21(金) 01:18 | URL |  【編集】

こどもの頃ってそういうことしますよね。
ぼくも小さい頃にたまたま雨宿りしたビニールハウスのいちごがめちゃめちゃおいしかったので、そのビニールハウスに通い詰めたことがあります(笑)

あまりのおいしさに友達誘って5、6人くらいで行っていたので、半分くらい食べつくしてしまいました。。。

あれは多分売りものでした。
農家の人、本当にごめんなさい。


えびす兄やん |  2007.09.21(金) 02:24 | URL |  【編集】

●utaちゃんにも小学校時代が

小学校のときの思い出・・・いろいろあったけど、今思うとそれなりに幸せだったかもと今、自分の思い出に浸っています。
私も書いてみようかな。自分が小学生だったときのこと(いや、しかし、実際書く段階になると以外と覚えていないかも。あまりにも遠い出来事)。
えすてる |  2007.09.21(金) 04:32 | URL |  【編集】

●ただいまw

そうそう...
昔はそうでしたよねw
近所一帯の子供も大人もかかわり合って....
今ではそんな風景を田舎ですらあまり見かけなくなってしまいました。

あの頃は気持ちももっと豊かだったように感じます。
ゆるさく |  2007.09.21(金) 06:24 | URL |  【編集】

昔って子供に対してとても大らかで、でもすごく厳しいときもあって、色んな意味でちゃんと子供が育てる環境でしたよね。。
今は小さな女の子だけで寄り道なんてしてたら危ないわよ!て時代みたいだから、何だか悲しいです。

utaさんの子供時代、何となくごろぞうちゃんの女の子版のイメージを想像しちゃいます。
ニヒルな笑いをする女児。。(笑)
クリコ |  2007.09.21(金) 18:13 | URL |  【編集】

●コメントありがとうございます。お返事です。

★mimiさんへ
そうでしたね、mimiさんのご主人は静岡出身。ぜひぜひどこ(西部中部東部)出身か教えてください~。この梅林はですね、ちゃんと手入れされた同じ大きさの梅の木が30本くらい整地された場所にあって実がちゃんと大粒だったので収穫用だったことは間違いありません。ただ農家をやっていたのはおじいちゃんとおばあちゃんという兼業農家の方(息子夫婦はサラリーマン)だったのでそれほど被害が少なかったみたいです。
★えびす兄やんさんへ
やった~!えびす兄やんはイチゴ!もっと高いかも。そうなんですよね、悪気はないんです。盗んでやるぞとかじゃないんですよね。でも本当に農家の方、かわいそうですよね。
★えすてるさんへ
実は今日母に電話をしたときに「こんなことあったの覚えてる?」と↑の話を振ってみたんですが「ええ~、そんなことあったんだ。」って言っていました。さすがはO型。つまりですね、多分覚えていることの出来る期間というのはおよそ30年ではないか(独自調査)と思います。私が今36でそれは6歳の時の話ですからね。だから 自分の年齢-30 のころの話なら思い出せるってわけです。えすてるさんもう中学生でした?(あっ、殴らないで!)
★ゆるさくさんへ
おかえりなさい♪
あのころはですね、いろいろな人がいろいろな問題を抱えていてもそればっかり考えている暇がなかったんですよね。あのころの人達ってお金持ちでも貧乏でも家族のため、そして日本が豊かになるためにみんな精一杯仕事していましたから。今子供が道草したらお母さんたちびっくりしちゃうでしょうね。私もきっと探しに行っちゃいますよ。
★クリコさんへ
ニヒルな笑い…そうだったかも知れません。何しろ2年生以降は苦労しました。それまですごい裸の付き合いを近所の人としていたので友達を「作らなくてはならない」ってどうしたらいいかわかりませんでした。だから暗くなってニヒルな笑いも出たことでしょうよ!
小学校一年生の寄り道はお母さんびっくりしちゃう、ですよね。泣きながら「○○ちゃんどこにいるの~」とか探さないと。
uta |  2007.09.21(金) 21:12 | URL |  【編集】

夫は子供時代、三島の一町田(いっちょうだ)という所に住んでいたそうです。名前の通り田んぼがあって、外で遊び放題だったと言ってました。でも、父親が亡くなり三島から引っ越して、三島時代よりもさらに貧乏になったと言います。ちなみに彼はたぶん、あーちゃん位の年です。

函南に関して夫に聞くと、
「丹那トンネルの入り口の町で、それが出来たおかげで箱根を回らなくて良くなった。でも、フィリピン海プレートとユーラシアプレートがぶつかっているので、断層があり・・・・」と延々と続きます。おしゃべりなんです。

前にスイスに一年住んでいたのですが、日本と同じように桜の花が道路ばたにたくさん植わっていて、季節になると、自転車にのってさくらんぼを食べにいってました。食べ放題、取り放題。いい国だった。
猫林@ザンビア |  2007.09.21(金) 22:30 | URL |  【編集】

●子供って

悪気なかったりしますからね~。
楽しく悪いことするんですよね~。

そういえば子供の頃、探検といっては、隣の姉ちゃんと弟の3人で建築中の家をめぐってましたね~。
新しくできて、入居前のお家に勝手に入ってチェックしてましたよ。土足で(笑)
coo |  2007.09.22(土) 00:16 | URL |  【編集】

●猫林@ザンビアさんへ

い、一町田!?私は光が丘というところにすんでいました。ご主人は光が丘知っているかな?
そうなんですよ。沢地大橋という橋がありましてその河川敷も田んぼだったんですが田植えの前は蓮華が一面に咲いて蓮華とって遊んでましたが今思うと「田んぼ荒らしていたんだな」なんて。ご主人と三島の思い出話がしたいですよ~。
そうそう、丹那(たんな)断層というものすごい断層がありましてそこは史跡名所に指定されています。私は昔そこへよく行きました。
スイスではさくらんぼ食べ放題。こちらじゃワシントン州の名産で贈答品ですよ…うらやましい。
uta |  2007.09.22(土) 22:31 | URL |  【編集】

●cooさんへ

cooさんのカミングアウトうれしいです。cooさんがそんなことしてたって、なんだか仲間意識が芽生えちゃったりします(めーわくでしょうが)。面白いです。なぜ違う地域なのにやることが似ているんだろう…それは子供だから。
私も建築中の家に勝手に入ってました。
しかも造成中から造成地で泥だらけになって一日中遊んでいたんですが今はそんな危ないことやらせてもらえないですよね。
uta |  2007.09.22(土) 22:35 | URL |  【編集】

●はじめまして

初めてコメントさせていただきます。
「いいなぁ外国に住んでるんだ・・」と思っていたら、以前三島に住んでいたんですね。
私は今三島に住んでいます。
もしかしてうちの子供たちと同じくらいの年代かと・・。

外国の生活は体験したこと無いしこれからも無いと思うので(絶対無い 笑)、いろんな話聞かせてくださいね。
またお邪魔します。


おばさん |  2007.09.23(日) 03:50 | URL |  【編集】

●おばさんさんへ

いらっしゃいませ。地元の方が見てくれるなんて本当にうれしいです。
私は地元が(静岡、特に三島、かんなみ)大好きでいつも実家に遊びに行くことばかり考えているので地元の人とこうして知り合いになれるのはうれしいです。
これからもぜひ遊びに来てください。
uta |  2007.09.23(日) 21:09 | URL |  【編集】

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